今週末は、日本商工会議所青年部員として盛岡市にいました。9月に登別で行われる北海道ブロック大会のPRも兼ねています。
少し早めの飛行機で花巻空港へ行き、陸前高田市さんも訪問させていただきました。陸前高田市は、東日本大震災以降、登別市職員の派遣や災害廃棄物の広域処理検討、観光振興・防災に関する政策共有などで、互いに市民や行政職員による交流があります。
私自身は4回目の陸前高田市でしたが、被害の大きかった高田松原地区では未だ多くのトラックが行き来していました。旧市役所本庁舎などは解体され、盛土工事が続けられているようです。

旧道の駅高田松原は、そのまま震災遺構として残されていました。真向いのガソリンスタンドは再建されていましたが、看板はそのまま残され、最上部に「津波水位15・1M」と記され文字板が備え付けられていました。改めて、津波の強大さを感じます。

それでも、高田松原地区に新しいショッピングモールが建設され、週末なこともあってかたくさんの市民でにぎわっていました。奇跡的に児童の人的被害がなかった高田小学校では、新しい市営住宅を前に元気に運動会が開催されていました。

住宅の宅地造成を終えているところもありましたから、今度訪問させていただいた時には戸建て住宅も建設されているかもしれませんね。

東日本大震災以降、不通となっていたJRは、BRTと呼ばれるバス高速輸送システムにより運行されていました。駅舎を見ると、さしずめ「線路のないJR」といったところでしょうか、“みどりの窓口”もあります。
安易なことは言えませんが、このBRTによる輸送システムは、JR北海道の将来像において無関係なものではありませんので、今回視察ができて良かったです。
少し早めの飛行機で花巻空港へ行き、陸前高田市さんも訪問させていただきました。陸前高田市は、東日本大震災以降、登別市職員の派遣や災害廃棄物の広域処理検討、観光振興・防災に関する政策共有などで、互いに市民や行政職員による交流があります。
私自身は4回目の陸前高田市でしたが、被害の大きかった高田松原地区では未だ多くのトラックが行き来していました。旧市役所本庁舎などは解体され、盛土工事が続けられているようです。

旧道の駅高田松原は、そのまま震災遺構として残されていました。真向いのガソリンスタンドは再建されていましたが、看板はそのまま残され、最上部に「津波水位15・1M」と記され文字板が備え付けられていました。改めて、津波の強大さを感じます。


それでも、高田松原地区に新しいショッピングモールが建設され、週末なこともあってかたくさんの市民でにぎわっていました。奇跡的に児童の人的被害がなかった高田小学校では、新しい市営住宅を前に元気に運動会が開催されていました。

住宅の宅地造成を終えているところもありましたから、今度訪問させていただいた時には戸建て住宅も建設されているかもしれませんね。


東日本大震災以降、不通となっていたJRは、BRTと呼ばれるバス高速輸送システムにより運行されていました。駅舎を見ると、さしずめ「線路のないJR」といったところでしょうか、“みどりの窓口”もあります。
安易なことは言えませんが、このBRTによる輸送システムは、JR北海道の将来像において無関係なものではありませんので、今回視察ができて良かったです。
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