登別市議会議員 辻󠄀ひろし

「対策」から「支援」へ

人生前半の社会保障である「若者への支援」について、一般質問をしました。
その趣旨は子ども・若者育成支援推進法に基づくものですが、今回の一般質問を通じて気付かされたのは、「対策」から「支援」への理念です。

これまで、引きこもりや不登校、ニートの多くは「消極性」「怠惰」など本人そのものに要因があると考えられ、その対策を講ずる必要性が訴えられてきました。

しかしながら「対策」の多くは、不登校などに至った環境や要因に十分に眼が向けられることなく、健全な大人たちにとっての問題である「病理」一つひとつを摘み取ることだけに終始しがちでした。

犯罪や虐待、暴力や自殺などの反社会的、非社会的行為は、社会にとっても本人にとっても病理であり、「対策」が必要です。

一方で、引きこもりや不登校は、本人自身が病理となって社会に危害を加えているのではなく、社会自体の構造欠陥からやむを得ず発生した生活課題です。本来は社会に非がある事柄に対して、求められるのは「病理の摘み取り」ではなく、「自己能力の支援」でなければなりません。

例えば不登校について、「○○日で再登校する方法」「不登校は治る」といった表現を使用している本が結構あります。つまり、著者にとって不登校はあくまでも治療対象の病理であり、その解決は再登校のみということなのでしょう。私はこの表現には違和感があります。

もし、“治らなかったら”本人は社会から見捨てられ、排除・隔離される存在になるのでしょうか?

私は不登校を通じて、本人自身の解決能力が高められ、その後の人生観につながる経験を得ることのほうが大切ではないかと思います。

不登校や引きこもりだけでなく、認知症や障がいなどに対しても、すくなからず本人に要因があると考える方は多いと思います。でも、そのような方は、もし自分が同じ境遇になったときの想像力が乏しいとも思います。その時に、「自分のせいだ」と考えることが出来るでしょうか。

言葉は心を表します。

何に対策が必要で、何に支援が求められているのか、これからは気をつけて観察してみたいと思います。

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